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福岡地方裁判所大牟田支部 昭和45年(ワ)45号 判決

原告 福山一登

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 久保田源一

被告 永田恒久

被告 江頭幹雄

右二名訴訟代理人弁護士 山本石樹

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告らの請求の趣旨

被告らは各自原告福山一登に対し金八九六万九、三〇四円、原告福山正に金一三五万円、原告福山マツエに対し金一〇〇万円と右各金員に対する各本件訴状送達の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

仮執行の宣言。

二、請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文と同旨の判決。

第二、当事者の主張

一、原告らの請求の原因

(一)  原告福山一登(以下原告一登という。)は昭和二四年二月一八日生の未婚の男子であり、原告福山正(以下原告正という。)は原告一登の父、原告福山マツエ(以下原告マツエという。)は原告一登の母である。被告永田恒久(以下被告永田という。)は肩書住居地において永田整形外科病院を経営する医師であり、被告江頭幹雄(以下被告江頭という。)は原告一登が本件負傷で右永田整形外科病院に入院した当時、被告永田に雇われて同病院に勤務し、原告一登の診療に当った医師である。

(二)  原告一登は昭和四〇年一二月三一日午前一〇時半頃、第二種原動機付自転車に乗って大牟田市不知火町二番地道路上を進行中、訴外森正博運転の自動車に接触されて転倒し、右下腿部等に負傷し、傷口から血が噴水のように吹き出し、一時失神状態になったのを、附近の人から止血の応急手当を受けて直ちに永田整形外科病院に入院した。

(三)  右病院において原告一登は被告江頭の診断を受け、右脛骨開放性骨折とのことで、下腿骨折の整復、開放創の縫合、骨折部分のギブス副木による固定等の治療手当を受けた。

(四)  原告一登は引続き右病院において被告永田の治療を受けたが、激痛があり腫脹が甚だしく、被告永田は昭和四一年三月一〇日原告一登の症状を肉腫と診断し、同月一二日原告一登を久留米大学医学部病院に転医させた。

(五)  右久留米大学医学部病院において原告一登は右下腿開放性骨折兼化膿性全身感染症の疑で生命に危険があり緊急右大腿切断の必要があるが、全身極度の衰弱で施術に耐えられない状態であると診断され、酸素吸入、輸液、輸血により一般状態を回復させたうえ、同月一五日右足大腿切断の手術を受け、さらに経過が良好でなかったため、なお五・六回の手術を受けて同年九月六日同病院を退院し、即日北九州市小倉区所在の九州労災病院に入院し、同日から昭和四二年四月一三日までと、同年一一月二二日から同年一二月二日までの間同病院に入院して右大腿切断後の種々の治療を受け、その後は義足による不自由な日常生活を余儀なくされている。

(六)  以上の経過において被告江頭及び被告永田は原告一登の受傷部分の治療をなすに当って、以下に述べるように通常医師として期待される適切な処置方法を採らず、誤った治療をした過失により原告一登の右足大腿切断の結果を惹起したものである。

1、原告一登は右下腿部開放骨折により動脈血管の損傷を受けていたと認められるので、被告らは動脈損傷に対する治療をすべきであったところ原告一登は初診時に被告江頭に対し、傷口から一メートル程に達する噴血のあった事実を告知したのに、被告江頭は初診時に血管撮影もせず、血管に対する適当な処置をせず外傷の消毒その他万全の措置をせずに骨折部分を徒手整復したのみで傷口を縫合し、ドレナーゼを行うことなくギブス固定した。(骨折部分の整復治療は完全でなく、骨折部分に喰い違いが甚だしい。)

2、開放性骨折の治療は第一処置が予後を決定するから特に慎重でなければならないとされているのに、被告永田は重要な初診時の治療を経験の浅い被告江頭と看護婦のみによって行わせた。

3、原告一登は被告永田の当初の診断では治療期間約三ヶ月で治癒するとのことであったが、日時経過しても一向に快方に向わず、昭和四一年一月一〇日頃抜糸排膿し、引続きギブス固定を続けていたが、激痛あり腫脹甚だしく、患部よりの滲出液多く、高熱続き、食欲なく同年二月二一日頃には全身の衰弱加わり、下腿部の腫脹はますます甚だしく壊死の徴候を見るにいたったので、被告永田らはようやく血管撮影を行った結果、脛骨動脈の血行不全であることが判明した。原告一登は貧血がさらに進み、局部が破れ、多量の凝血が流出し、一時失神状態になったので、同年三月九日被告永田は驚いて原告一登に輸血した。

4、右のような症状に基いて被告永田は三月一〇日肉腫と診断したので、原告正は訴外垣内外科医師に相談し、同月一一日同医師の立会の下に、被告永田において原告一登の局部を切開し、再検査した結果は、凝血多量で、筋肉壊死の症状はあったが、肉腫ではないことが判明した。ついで翌一二日原告一登は被告永田方病院から久留米大学医学部病院に転医した。

5、被告らに右のような診療上の過失がなかったならば、原告一登は右足を大腿部の最高位において切断するようなことにならなかったものであり、被告らは足切断による原告らの有形無形の損害を賠償する義務がある。

(七)  原告一登は被告らの右不法行為により、以下の損害を蒙った。

1、原告一登は本件負傷当時大牟田高等学校建築科一年に在学していた健康な男子であり、本件傷害により一年遅れて昭和四四年三月前記学校を卒業したが、当初希望していた建築方面の職につくことができず、やむなく同年四月から大牟田市内の木下敏明司法書士事務所に司法書士の補助者として勤務し、月手当金一万八、〇〇〇円(賞与なし)を得ているが、原告一登としては、たとえ骨折しても、足を切断しなければ、建築方面の職に就くことは可能であったと考えられ、高等学校卒業直後においても月平均金四万円(月給三万円、賞与月割一万円)の収入を得ていた筈であり、原告一登は満二〇才で高校を卒業したのであるから、その後四三年間は就労し得るものと考えられ、その間月平均金二万二、〇〇〇円の減収を余儀なくされるので、得らるべき利益を失った損害はホフマン式計算により年五分の割合による中間利息を控除し、現価額金五九六万九、三〇四円である。

2、原告一登は三ヶ月位で治癒する下腿骨折傷害につき、被告らの診療上の過失があったため、治療に約二ヶ年間を要し、その間右大腿部切断の大手術を含め数回の手術が行われる等原告としては死の苦痛をなめたことも何回かあり、しかもその結果右足切断という回復し難い不具者となったものであり、将来妻帯する場合にも非常な悪条件となり、かかる原告一登の肉体的精神的苦痛を慰やす慰藉料として金三〇〇万円が相当である。

(八)  原告正、原告マツエは愛児である原告一登が被告らの診療上の過失により約二年間再々の手術で死の苦痛を味う様を見聞し、その上右足を失った不具者として今後長い一生を送らざるを得なくなったことに思いをいたし、甚大な精神的苦痛を受けたことは明らかで、その苦痛は、被害者が生命を害されたときにも比肩すべきものであるから、その苦痛に対する慰藉料として各自につき金一〇〇万円を請求する。

(九)  原告一登は昭和四四年一〇月八日付毎日新聞に京都府の日赤救急分院における誤診裁判の報道記事を見て医師の診療上の過失があることを知り、被告永田に照会したところ、被告永田は昭和四五年一月一七日原告正および原告マツエを招いて本件に関し自分らの手落を承認する趣旨の話をしながら、その後誠意ある解決策の申出もなく、その後かえって自方の手落を否認するにいたったので、原告らは本件訴訟に及んだのであるが、この事件は到底原告ら自身では処理できるものではないので、弁護士久保田源一に本件訴訟に関する一切の手続や訴訟代理を委任し、着手料として金三五万円を支払った。この金三五万円も本件損害金の一部である。

(十)  よって原告一登は逸失利益金五九六万九、三〇四円と慰藉料金三〇〇万円の計金八九六万九、三〇四円を、原告正は慰藉料金一〇〇万円と弁護士費用金三五万円計一三五万円を、原告マツエは慰藉料金一〇〇万円をいずれも被告らに請求し、かつ右各金員に対し各本件訴状送達の翌日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める。

二、請求の原因に対する被告らの答弁

(一)  請求原因(一)の事実は一応認める。原告一登の診療には被告両名が当ったものである。

(二)  同(二)のうち、原告一登が当日交通事故により負傷し、永田整形外科病院に救急的入院をしたことは認めるが、その余は不知。

(三)  同(三)は争わない。

(四)  同(四)のうち、肉腫の診断をしたことは争う。肉腫のおそれがあるので念のため垣内医師の立会診断がなされ、筋肉壊死の状況がみられたので、これに対して薬物療法をしたことはある。その余は認める。原告一登が久留米大学医学部病院に入院したのは、被告両名が原告らに勧告し、宮城成圭教授に依頼した結果である。

(五)  同(五)のうち原告主張の日右病院において原告一登の右足大腿切断が行われ、同年九月一八日同病院を退院したことは認めるがその余の事実は不知。

(六)  同(六)の被告らの過失は争う。医学的に治療上全力をつくし、適正を期したので過誤はない。

1、同(六)の1は否認する。重要な血管損傷は認められなかった。初診時血管撮影はしていないが、その必要がなかったからである。止血措置、消毒は十分している。動脈損傷とは認められないので、血管縫合はしていない。徒手整復が不完全ということはない。徒手整復は切断された脛骨の中軸を基本通りに接合癒着させることが眼目で初診の際のレントゲン撮影と四一年三月撮影を比較すると撮影角度によって多少の差異はあるが治療中に完全接合はしていないにしても、相当の回復を来していることは明らかである。接合癒着して回復する過程は或る程度は自然治癒力を期待するもので、患者自身においても安静保持の必要がある。この過程と本件感染とは因果関係はない。ドレナーゼをしていないことは原告主張のとおりであるが、ドレナーゼは損傷部位を外界と交通させることになり局所に細菌侵入の危険性が強くギブス副子固定の治療においてはドレナーゼをしないことが整形外科の常識である。

2、同(六)の2は争う、被告永田も原告一登の初診の際診断している。

3、同(六)の3のうち当初の診断で治療期間三ヶ月としたことは認める。かかる予測をしたのは最善をつくし、良好の経過をたどった場合でも最低三月を要するとしたもので決定的のものではない。

原告一登の治療経過は次のとおりである。

昭和四〇年一二月三一日交通事故で負傷した原告一登は永田整形外科病院に救急的入院をなし、被告江頭が先づ診療に当り、傷病名は顔面右肩右胸部打撲及擦過傷、右脛骨開放骨折かつ右脚に開放創あり腫脹も高度であり、重傷である。原告一登の顔面蒼白、体格栄養共に中の下であり、小心神経質的と認められた。意識消失なく、瞳孔正常、左右同大、血圧一一〇―七〇出血は一応止っていたが、脛骨上部の粉砕骨折異常可動性のため骨髄性の多量出血があったものと想定された。局所を消毒清潔にし、頭蓋内出血防止をし、レ線検査後骨折を徒手整復し、開放創を縫合し、感染防止剤や破傷風血清を使用し、右脚のギブス副子固定をした。

治療の万全を期し、止血剤、感染防止剤、消炎酵素剤を使用し、経過は良好であったが、昭和四一年一月一〇日創感染の徴を認めたので、抜糸排膿し、抗生物質投与剤も変更した。同月一四日白血球数九七〇〇、ギブス固定を続けて局所の安静をはかったが腓腸筋の彎縮が起って痛みを訴えるので、感染と第三骨片による血管損傷及び神経刺戟とみて対症療法を行ったが、腫脹が増加するので、二月九日にギブス副子をした。その後も滲出液が多く、発熱が続くので、菌耐性検査、テトラサイクリンカナマイシンに耐性がないので使用した。同月二一日にいたり肺炎桿菌と認められたので、有効剤を連続使用した。

その後も原告一登は全身衰弱、下腿腫脹壊死の徴候があるので、血管撮影をしたところ、脛骨動脈血行不全があり局所内出血傾向があり、凝血も多量にみられるにいたった。万一にも肉腫でもあれば、生命の危険もあり、大腿切断の外ないので、時機も誤らないよう考慮した。

三月一一日止血帯を使用して垣内誠一外科医師立会の下に局所切開再検査したところ、凝血多量と筋肉壊死と骨髄炎が認められ少量の排膿があった。

右の所見はきわめて重態であって、切断しなければ、生命の危険も多分にあるものと想定されるので、最善を期し、より効率的な診療のため、久留米大学医学部附属病院に転医を勧め、原告らの承諾の下に同大学病院長宮城成圭教授に依頼した上、強心輸血等万全の措置をして同月一二日大学病院に入院させるにいたったものである。

4、同(六)の4のうち肉腫と診断したことは否認し、その余は認める。

5、同(六)の5は争う。被告らは全力を挙げて治療に当ったが、原告一登の開放骨折が重傷悪性であったため、前記のとおりの経過となり大腿切断の止むなきにいたったもので、これは被告らの診療過失によるものではなく、全く不可抗力というの外ない。

(七)  同(七)の事実については被告らに責任はないので、主張事実及び数額を否認する。

(八)  同(八)の事実について被告らに責任はなく、数額は否認する。原告正、原告マツエは被害者ではなく、原告一登は死亡したわけではなく、交通事故により重傷を受けたものではあるが、被告らが重傷を与えたわけではない。

(九)  同(九)、(十)の事実はいずれも争う。

三、被告らの予備的抗弁

(一)  仮に原告らの請求に一部でも理由があるとしても、原告一登が久留米大学医学部病院において右足大腿切断を受けたのは昭和四一年三月一五日であって、若し損害ありとすれば、原告らはその時点に損害の事実を当然知ったのであり、従ってその後昭和四四年三月一四日で満三年が経過し賠償請求権は時効により消滅しているので、被告らは時効消滅を援用する。

(二)  原告一登は本件負傷につき交通事故責任者と目される日本電信電話公社より昭和四二年三月一〇日一切の損害賠償として金二四〇万円を受領して解決している。

これは原告一登の大腿切断後のことであって、その損害も包容された解決である、従って仮に被告らに何等かの過失責任があったとしても、これは前記公社と共同不法行為責任を負うことになるわけであって、同公社の賠償の一部を分担することは格別、原告としては解決した事案につき、重畳的賠償請求権は認められない。

(三)  原告一登は大晦日に交通事故による重篤な傷害を受け被告病院に救急入院を求めてきたものであり、被告両名は年末年始の計画行事等をとりやめて急患救護の医療に努めたが、このような事情にもかかわらず原告らは入院治療費合計金三四万九七九四円を今もって支払わない。救急治療を求めて一応生命と痛患を救われながら、治療費を支払わずに、逆に賠償を欲求するが如きは正に恩を仇で返すの類で、非道義も言語に絶するものというべく、民法一条二項信義誠実の原則に反し、同条三項にいわゆる権利の濫用である。

四、被告らの仮定的抗弁に対する原告らの主張

(一)  本件は被告らの不法行為を原因とする損害賠償の請求であるが、その請求権の時効期間は原告らにおいて本件が不法行為を構成することを確認した時即ち原告らが被告らの本件診療上に過失があったことを確知した時に始まるものと解されるところ、原告一登は本件負傷当時一六才の少年であったし、その父母である原告正、同マツエにおいても医学上の知識は全くないので、被告らの診療に多分の疑念はいだいていたものの、被告らの診療上の過失により足を切断せざるを得なくなったものであるということは、足切断後も全く知らなかった。ところが昭和四四年一〇月八日付毎日新聞に、誤診裁判の例として京都府の日赤救急分院で入院時右足骨折の傷害の診断を誤り、血管が切れているのに気づかず、ギブスのまゝ二〇日間も放置、そのために筋肉が腐り右足を切断するハメになった旨の記事が掲載されているのを当時原告一登が見て、自己の負傷当時の状況と治療方法等殆ど同じであるので、自分の場合も永田病院での診断や治療方法に過失があったのではないかと疑念を抱き、その後右京都の事件の訴状の写を取寄せて調査したり、骨折経験者等に聞き合せたりして知り得たことから被告ら医師の誤診や、治療方法に過失があったことを確知するにいたったもので、従って原告らが被告らの本件診療行為が不法行為を構成するものであることを確知するにいたったのは少なくとも右新聞記事を見た昭和四四年一〇月八日以降であることは明らかである。よって原告らの本件損害賠償請求権の消滅時効は完成していないので被告らの時効消滅の抗弁は失当である。

(二)  原告一登が交通事故の加害者側から被告ら主張のとおり金二四〇万円(原告の準備書面では金二五〇万円)を受取ったことは認めるが、右金員は交通事故に基づく通常の損害に対する賠償金(主として治療に関する費用であるが、内訳を明確にして示談したものではない。)として給付されたもので、本訴は被告らの不法行為を原因として請求するもので、その遠因である交通事故に因る請求とは全くその原因を異にするものであるから、前記交通事故の加害者からの損害金受領の事実は本訴請求に支障を来すものではなく、この点の被告らの抗弁も理由がない。

(三)  永田病院に対する原告一登の治療費を支払ってないことは認めるが、昭和四四年一一月原告一登からの要求に対し被告永田において、治療費の精算書は電報電話局(本件の遠因である交通事故の加害者)の方に送ってあるが、裁判の終った時点において支払って貰えばよいとの回答をしたのみで、原告らとしては入院治療費の請求を受けたこともなく、その金額も明確でなかったので支払わなかったのである。原告らは不当不法な請求をしている訳でもなく、権利乱用に当るものでもない。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、請求原因(一)の事実、同(二)のうち、原告一登が交通事故により負傷し、永田整形外科病院に入院した事実、同(三)の事実、同四のうち原告一登が右入院時から昭和四〇年三月一二日まで前記病院において被告永田の治療を受け、前同日久留米大学医学部付属病院に転医した事実、同(五)のうち原告一登が同月一五日同病院において右足大腿切断の手術を受けた事実はいずれも当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば、原告一登が昭和四一年三月一二日久留米大学医学部附属病院に入院した当時において、同原告は右下腿開放骨折から敗血症を併発しており、生命の危険があったため、緊急に右足大腿の切断を必要とする状態であったこと、その結果、同月一五日同病院において切断手術が行われたことが認められる。

二、原告らは原告一登が右足大腿切断を余儀なくされたのは、被告江頭が当初の治療の際、損傷を受けていた動脈血管に対する処置をしなかった過失(血管撮影、血管縫合、ドレナーゼ等をしなかったこと)、完全な消毒をしなかった過失、整復が完全でなかった過失が原因であると主張するが、≪証拠省略≫によると、原告一登の右足開放性骨折部分から足先にかけての血液の循環障害はなかったことが認められ、従って、当初の治療当時動脈血管の縫合を必要とする症状ではなかったことが認められ、従って被告江頭が当初の治療の際、原告主張のとおり血管撮影、血管縫合の処置をしていないにしても、その点において被告江頭に治療上の過失があったとすることはできない。被告江頭が原告一登の当初の治療をするに当り、止血のため血管結さつをしなかったこと、ドレナーゼをしなかったことは、当事者間に争いがなく、原告一登の右下腿の腫脹が消失せず、かえって増大したことについて、前記の処置が適切でなかったことが一因をなしていることも推認できるが、≪証拠省略≫によれば、原告一登の負傷からの出血は搏動性がないと認めたので、同被告は血管に対する特段の処置をしなかった事実が認められ、同原告が血管の結さつをすることなく、かつドレナーゼをせずに一次縫合をなし、徒手整復の処置をとったことについて、医療上の過失があるとする根拠はない。(≪証拠省略≫中同原告が被告江頭の治療を受けた際、同被告に対し、自己の負傷部分からの出血の模様を告知した旨の部分は、≪証拠省略≫に照し措信しない。)≪証拠省略≫によれば、開放性骨折がある場合、万全の消毒をしても敗血症の併発を一〇〇%防止することは不可能であることが認められ、右の事実に徴すると、単に敗血症の併発という結果の存在だけで、当初の治療の際の消毒の不完全を推認することはできず、他に消毒の不完全を認めることができる証拠がないので、当初の治療において消毒が不完全であった事実を認めることもできない。敗血症は傷口からの微菌の侵入により生じるものであるから、整復の不完全と敗血症との間に相当因果関係を認めることはできず、従って仮に、整復が不完全であったとしても、原告一登の右足切断はこれに起因するものではないので、結局原告らの主張はいずれも採用できない。

三、原告らは被告永田は原告一登の当初の治療を医療技術の未熱な被告江頭と看護婦のみに行わせたと主張するが、右の事実を認めるに足る証拠はない。≪証拠判断省略≫)

四、原告らは被告永田は原告一登の病名を肉腫と診断した過失があると主張するが、仮に被告永田が原告らに原告一登の病名を肉腫であると告げた事実があったとしても、そのことが原告一登の敗血症の発病の原因となるものではないから、原告らの主張自体理由がない。

五、結局本件全証拠によるも被告永田及び被告江頭に、原告一登が右足大腿切断を余儀なくされるにいたったことについて医療上の過失があったことを認めることはできず、かえって≪証拠省略≫によれば、原告一登の開放性複雑骨折の治療について被告江頭及び被告永田により医学上通常必要とされる投薬及び処置が施されたことが認められ、≪証拠省略≫も右認定をくつがえすに足るものではなく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

六、従って被告永田及び被告江頭の過失を前提とする原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。よって訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 境野剛)

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